一日の終わりに考える。
2009年 10月 13日
マスターと「この3連休は、大抵の連休よりは良かったね」と
話しました。でも昨日はあり得ないほど暇だったんですがね。
今日は、程よく食事もケーキもコーヒーも出まして、なおかつ
私の読書と編み物への時間が、僅かながら取れました。
こんな時は、24時間が伸び縮みしているような気がします。
久しぶりの友達ともメールのやり取りもできたし。
近所に住んでいるのに、生活時間も仕事も立場も違うから、何年も
会えない友達が何人かいる。それをさみしいと思うなら、迷わずに
私から、いつだって私からで良いから連絡取らなくちゃ。
なんてことを、三十路過ぎたって何度も改めて実感する。
で、帰宅後に、ドラマ「プライベートプラクティス」を観た。
親友という存在について、私はまだ関係が壊れるようなケンカを
したことはないけど、逆に何でも話せるというほど自分を友達に
晒したことがないなぁと漠然と気付いた。
出演者のインタビューで「大人は答えが判らなくても決断を
迫られる」と答えていたが、深淵な言葉だ。
単に「今日何食べよう」ということでさえ、明日の我が細胞を
形成するとあらば、人は重要な決断を繰り返して生きているのだ。
何だろうなぁ、いま珍しく自分の中にポジティヴな人が出てきて、
何かにつけ「それでいいんじゃね?」って言われている気がする。
ポジティヴな私を見たことある人は、そうはおるまいて。
話しました。でも昨日はあり得ないほど暇だったんですがね。
今日は、程よく食事もケーキもコーヒーも出まして、なおかつ
私の読書と編み物への時間が、僅かながら取れました。
こんな時は、24時間が伸び縮みしているような気がします。
久しぶりの友達ともメールのやり取りもできたし。
近所に住んでいるのに、生活時間も仕事も立場も違うから、何年も
会えない友達が何人かいる。それをさみしいと思うなら、迷わずに
私から、いつだって私からで良いから連絡取らなくちゃ。
なんてことを、三十路過ぎたって何度も改めて実感する。
で、帰宅後に、ドラマ「プライベートプラクティス」を観た。
親友という存在について、私はまだ関係が壊れるようなケンカを
したことはないけど、逆に何でも話せるというほど自分を友達に
晒したことがないなぁと漠然と気付いた。
出演者のインタビューで「大人は答えが判らなくても決断を
迫られる」と答えていたが、深淵な言葉だ。
単に「今日何食べよう」ということでさえ、明日の我が細胞を
形成するとあらば、人は重要な決断を繰り返して生きているのだ。
何だろうなぁ、いま珍しく自分の中にポジティヴな人が出てきて、
何かにつけ「それでいいんじゃね?」って言われている気がする。
ポジティヴな私を見たことある人は、そうはおるまいて。
by saporterK
| 2009-10-13 01:04