南アルプス市のジャズ喫茶より日々の出来事を。

by saporterK

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友よ!

胃痛を引きずっている。でもプチ断食という前向きな考えによると、デトックス効果を得ているとも言えなくはない。葛湯などを飲んで過ごす。

友達からサプライズ予告を受けていた物が届く。
お店に平べったい段ボールに入った「それ」。箱を開けたら目にも華やかな色がパッと広がった。スイトピー。ピンク、紫、赤、黄色。箱に収まっていたので花弁はぺったりしていたので、早速水切り。

マスターがノリノリで花器を選んでいた。なんせ、量が多い。フラワーアレンジメントの心得は誰もない。色々「あーでもない、こーでもない」を繰り返して、結局一色ずつ生けることになった。そして、3人3様の生け方で、お店に飾る。数時間後、水をあげた花は、ずっとゴージャスに変化。薄い玻璃みたいな花弁が、ふっくらと立体感が美しくなった。スイトピーらしい複雑なドレープ。それに香りもぽわっぽわっと浮き立ってきた。花屋で香るものは全然本来の香りとは違う。うーん、いいねー。

お客さんからも大好評。「友達が贈ってくれた」と、もう自慢せずにはいられないくらい。我々の生け方では本当の美しさを引き出してはいないかもしれないけど、お店の中が可憐に華やいで、空気が軽く明るくなったようだ。

両親を含め、お客さんからも絶賛された友達。盛り上がった1日。
花に触れて繊細な手触りを楽しんだり、色の微妙な具合を愛でる。
素晴らしい。
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by saporterK | 2006-02-28 00:36

1個のドーナツ1日後悔

雲隠れから帰った夜、もうお腹は美味しい野菜やチーズでいっぱい以上だった。ところが家にはドーナツが待っていた。さすがにこれ以上何も入らなかったので、大好きなドーナツは翌日の楽しみへの持ち越しとなり、大好きな苺も横目で見ただけ。

で、昨日お店に行ってから、おやつにドーナツを1個ミルクティーと一緒に食べたのだが、その後がいけない。ここのところ非常に自然派生活を送っていたからか、食べなくても構わないもの或いは控えたほうが良さそうな物への欲求度が低くなり、胃にどーんとずしーんときた。それを感じてからは胸がやけて胃がもたれて、ありがたい先人の「後悔先に立たず」が脳裏に打ち上げ花火みたいにボンボン浮かび、結局1日中不快感をともにする羽目になった。

ここ1週間ほどで、母上が病気じゃないかと疑うくらいによく食べていたのに体重がよろよろ減っていた。ジャンクっぽい物ではなくて野菜や果物の大量摂取だからだろうか。春限定のお菓子とか真っ先に買ってきたのに、その虚ろな甘さに辟易したり、なんというか体の求めるものが少し変化したのを感じてはいたけれど。

結局、昨日はお茶も飲めず食事もとらず、お店のアロエジュースを熱々で飲んだり、ちょっぴりの焼き芋(のトロッとしたところ)だけで終わった。おかげで少し気分は回復。朝ご飯を食べ終わった両親と、フリーア美術館の収蔵品の紹介番組で、大好きな円山応挙や俵屋宗達らの海外への名品流出を嘆く元気を取り戻した。巨万の富を築いた海外のコレクターが、重文レベルの作品を「わりと簡単に購入できた」時代がその昔あったことを、今になって我々が指をくわえて眺めている。
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by saporterK | 2006-02-27 11:35

楽しい時間。

本日雲隠れ。解説も楽しかった。話の中で出た「一体感」について、これまた「繋がってる」感でいっぱいになり、お能を観て恍惚に近い一体感を得た時のことを思いだす。今日の「小袖曽我」は兄と弟の、平均的姿といった感じ。お兄ちゃんってこうだよね、というイメージそのもの。誠にいわゆる兄っぽさが出ていて楽しかった。
誰がシテであれ、特に直面だと演じる能楽師の見た目そのままが役のアイデンティティになる。清少納言は、ご説法を聞くにつけ「坊さんは見た目と声が良くて話も上手じゃなくっちゃ」みたいなことを書いているが、能もご説法もひとつのパフォーマンスとして一括りにして、舞台の上に立つ人間は見目よろしいほうが確かに見ていて目の保養になるしモチベーションも高まる。有名税ということで苦労されている役者もいるようだが、舞台を降りたら一個人であるんだし、イメージを保ちたいなら役者の舞台以外は知らなくて構わないと思うんだけど。

その後、待ち合わせをして夕飯。お昼を食べ損ねたままだったので、お腹が空きすぎて貧血を起こしそうなほど。でもそういう時のほうが量は食べられないんだな、と改めて思った。パスタを2種類半分こしたけれど最後まで辿り着けなかった。勿体ないオバケが出てしまう。久々にカチョカバッロチーズを食べた。嬉しい。

美味しく食べつつ、私の「男の好み」に話が及ぶ。明確な指標がないので、あれこれ揚げていたけれど、ふいに「あ、シャンパンの栓を開けられる人」と言ったらビミョーな顔をされた。いつそういうシーンになるか判らないけど、いざ栓を抜く段階になって「できない」と言われたらイヤだなと思ったので。つまり「いつ何が起きても動じない」でいてほしいと言いたかったの。シャンパンの栓は私が抜くから。

その後、一向に本人も概要が掴めない好みを話し、最後は随分大雑把な感じだったけど、どうもハードルが高すぎるらしいひとつのご意見。ひとつ言い忘れた。一緒に美術館に行ってくれる人。そうそう、これはポイント高いぞ。ハードル低めじゃない?

私より背が高くて、私が本を増殖の一途を辿らせても怒らなくて、放っといて欲しい時とヨシヨシして欲しい時を判別できて、ディスカバリーチャンネルで寄生虫とかの番組を見ても容認してくれて、わざとややこしい話をしても引かなくて、食虫植物を愛でる私を愛でて、美術館に一緒に行ってくれる人、か。まだあるかなー。ぶつぶつ。
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by saporterK | 2006-02-26 00:31

「繋がっている」感

先日、お客さんが「禅に生きる尼僧の言葉 新美しき人に」(青山俊董) を貸して下さった(現在進行形)。永平寺に1泊してから、実生活に最も近しいかと思って「典座教訓」や「ふ粥飯法」を読んだのを話していた折、その方の奥様が「今度本を貸してあげる」とのことで。私はその後手にした懐奘の「正法眼蔵聞記」が何が書かれているかは判るけど意味まで判らなくて四苦八苦している。

と思いながら棚上げしたままでいた。すると、今日出稼ぎ先のAさんから梅原猛、ひろさちやの対談集「日本人・いのちの風光」を突然手渡された。先日Aさんの机に「西田幾太郎」という本が置いてあって「あぁ西田幾太郎って難解ですよね」と口走り、だがなぜかこの対談集が来た。内心、西田の本は大学時代に1ページも読み進めずに吐きたくなる気分を起こしたのでホッとしたけれど。
「読む?」と言われて「梅原さんって茂山千作さんとのコラボで新作狂言がありますね」と言ったが最後、ポンと渡された。題名からすると生命倫理だろうかと思っていたら、仏教祖師達の生命観と浄土、空海と森の思想、日本人の生命観の3部に分かれた本だった。目次を見てふいに「あぁ繋がってる」と感じた。

本を貸して下さった2人に繋がりはないけれど、同じ時期に読むには重なり合うジャンルだし、片や禅に生き、片や第三者的視点で語る違いが見えて面白い。
最近ふと能「安達原」に関して今までと違う捉え方に気付いて「この解釈って変かな」と考えあぐねていたのだけど、対談集を読んでいたらちょっと納得できる言葉を得ていい気になってみた。能の見方に正誤はないと思うけど、全く見当違いでは勿体ない。ここもまた「あぁ繋がっていたんだ」。能は仏教とも切り離せないから繋がっているのだけど、たまたま安達原だったところが。

ということで、只今「繋がっている」感が充実している本が、意図せず身近にある状況が続く。今まで読んできた物達や、出会った人々、起きた出来事が、巡り巡って繋がっていたと実感したとき、何か体と心に流れ出し流れ込む感じがして気持ちよい。でも頭の中はパンク気味。たった一言でも繋がっている感をおぼえた本もひっくり返しているから。楽しい作業の反面、どの辺りで切り上げるかも何かのきっかけが必要かも。
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by saporterK | 2006-02-25 00:01

花粉症

今月の天気は上下が大きい。兄上は昨日熱を出すし喘息は出るしで苦しんだようだし、お墓参りに来るはずの従妹も喘息であえなくダウン。出稼ぎで不在だった火曜日に来店した遠縁の小父も齢50を過ぎて喘息が出たと言って激やせしたんだというし。我が家は気管の弱い人間が多いのだ。私はストレスで気管支の調子を悪くしたこともあった。弱くない見た目と内実のギャップ。

さて今年の花粉飛散量は平年並みと聞いた覚えがあるが、どうやらこの2日が私の発症のきっかけらしい。くしゃみと、不定愁訴的「なんだかなぁ、だるいわなぁ」が主だった症状。プラス異常な眠気。

叔母が帰ってから夕方、居間で何やら映画を観ていたけれど、全員テレビをつけたままその場で寝こけてしまった。正体をなくして爆睡。かろうじて起きた母上が夕食を作り、ウトウトしたまま食べ、WOWOWで「キスを探して」という映画を観る。内容よりキルゴアと名付けられたラブラドールの垂れ目が印象的。で、また全員うつらうつらしながらすごし、たまに私がくしゃみをして2人が目を覚ますのを繰り返す。

私は軽症なほうだが、それでもこの世から花粉症がなくなったらどれだけラクだろうと思う。ぐずぐず。ぶえっくしょいっ。・・・昨年の今頃も「美しいくしゃみの仕方はないものか」と書いていた。いまだに方法は見つからない。
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by saporterK | 2006-02-22 22:30

我が友よ

本日定休日。
父方の祖父が亡くなって10年。家族皆の一区切りがつくまでには深い谷へ下ったり底辺彷徨ったりして10年間が厄年みたいな感じだった。そんな暗黒時代の中にも光明は必ずあるもので、むしろその明るさがより際立って支えてくれたとも思う。

叔母が来訪。皆で一緒にお墓参り。甥っ子も最近では戴きますとご馳走様となむなむの為に手を合わせる仕草ができるので、またそれも時間の経過を思わしめる。慌ただしいようなお参りだったけど、行為の上でも区切りがついたようだ。お寺を後にするとき、皆で雲のない空を眺めて暫し見とれていた。青い空に飛行機雲が横切っていき、皆それぞれの「この先」に向かう出発になったかもしれない。

夕べ友人から電話がきた。ふさぎ込んでいたメールを送って以来だったので、嬉しいサプライズだ。1時間ほど話しただろうか。やはり顔が見えない会話って難しい。でも、ヘビーな(だった)時の友達ほどありがたい存在はない。大学時代からの付き合いとなればこちらも10年。当時とは立つ状況も環境も違って、歩む方向も違うけれど、お互いがお互いのハッピーを強く願っている。それゆえに喝を入れたり入れられたりできるって良いな、と思う。私はかくして友人達に底辺から釣り糸で引っ張りあげてもらうことしばしば。ネギでは短すぎ、クモの糸では細すぎる。友人は心得ていて、いつも底辺に届くような長くて強力な糸を垂らしてくれる。

家族とはまた違って、友達という支えは人生に大きく作用してくる。私は出会った友人達のおかげで今こうして生きていられる面を持つ。私もそう思ってもらえるようになりたい。何事にもやはり精進であります。

電波の都合で「じゃぁねー、ばいばい」を残すところで突然電話が切れ、笑いながらまた繋がった電話で「改めてばいばーい」の後の心といったら。凝った筋肉が解れ、血流もリンパ液も気もドッとばかりに流れ出したような心地よさ。電話ありがとうね。今度は会ってご飯食べつつ話そうね。

身近な存在だけについ疎かにしてしまいがちな人々に、いつもありがとうを言いたい。無沙汰にしちゃったりするけど、私はちゃんと生きてます。前を向いて、生きてますよー。
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by saporterK | 2006-02-22 16:01
「グリコ朝食りんごヨーグルト」の新聞広告が面白い。なんとかかんとかあって、だから「きれいにならなくちゃ」で締める、ほんの3.5cm角くらいの小さい記事。昨日の日経新聞に載った広告には「好きな男から、好きと言われたい。嫌いな男からも、好きと言われたい。きれいにならなくちゃ」ということで、きれいになるために女性達をターゲットにしているのが判る。万人から愛されたい願望や外見至上主義みたいでどうかとも思ったが、照準を合わせている人から好きと言われるくらいには、確かになりたい。「私の名前には「美」がつく。少し重荷。きれいにならなくちゃ」とか、わりと誰もが思うような一言で、広告が掲載されるのが楽しみでもある。

コンビニに行くといつも違うのを買うのに、最近「あぁ朝食じゃないけどりんごヨーグルトにするか」と手を伸ばし、グリコの思う壷である。買わずに自分でりんごを切ってヨーグルトに混ぜれば済むものを・・・。

今更りんごやヨーグルトの健康効果など話しても仕方ないけれど、1日野菜を何グラム、果物を何グラム摂取すると良いというのを最近気にしている。どれくらい食べているかな。不安ならジュースやヨーグルトに混ざったものでプラスしておこうと思う。ただ生野菜や果物は体を冷やすものが多いからお昼頃までに。体の冷えを気遣うようになったら、心理的側面は別にして、何を食べると体がどんな反応をするか何となくわかるようになってくる。或いはどんな運動をすると、どんな感情が起きると、などなど。加藤えみ子「知食のルール」でも、食べ物が及ぼす心身への影響の大切さについて書いてある。詳しい分量はないが、手軽にでもしっかり体に優しい栄養がとれる参考料理が紹介されている。

ここのところ続けてお客さんからとても美味しい焼き芋や苺の差し入れを戴いたり、自分たちも苺を買って食べていて、やはり美味しい物への反応に最も敏感な子供の甥っ子がご飯そっちのけにしたくなる良い物だったおかげで私達の味覚も鋭くなってきたのか、買い置きのスナック菓子を何気なく食べた時「全然美味しくない」と思った。空疎な気分すら起きる。これはまったく栄養的に必要ではないものだと感じたのか、ただもっと美味しい、しかも自然の物を欲したのか。その瞬間、改めて食の重要性を考え、家族で話し合った。

甥っ子が産まれたおかげで、一家の食意識もよろしく改善されている。健康である=きれい、でもあるのだ。
それならば「きれいにならなくちゃ」!!!
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by saporterK | 2006-02-22 00:23

会話

今日お店でお客さんと交わした会話の種類を振り返ってみた。
この商売は、自分から話題を投げかけることはほとんどない。お客さんから「ぽん」と手渡された話題に対してどうやって返すかを私はいつも考える。まるで運動会の借り物競走みたいに、紙に何が書かれているか開いてみないと判らないように、お客さんの口が開かないと、どんな話題が投げかけられるか判らない。毎日が口頭試験みたいな感じかも。時にそれはただお天気の話だったり、なんてことのない井戸端だけど、時に自分自身の内部を出して話すことだったりする。

今日はお天気とか、山梨の喫茶店事情、ライブドア関連、滋賀の幼児殺害、オリンピックのメディアの空騒ぎに近い前評判、犬、タバコの煙、近所のコンビニ閉店、リンツのチョコレートの旨さ、お寺改修工事費用問題、散華、花祭りと甘茶かけ、地元公立校の学区、祝ひとまず大学合格あとは国立の二次試験、パソコン買い換え問題、霊感、マスターと私の大学時代、今年の花見候補地、レクサスかベンツかジャガーか、中国元のレート、そんなところだったろうか。

お客さんそれぞれの職業や専門あるいは得意分野の数だけ話題がある。お手上げの話題もあるし、最近は脳がパンクしやすくなってきて、素晴らしく「押し出し」あるいは「寄り切り」状態に以前の情報が消えている。

お客さんと交わした会話で得た情報を漏らさず自分の中に取り込めていたとしたら、深さに差はあれかなり物知りになっているだろう。博学か雑学か玉石混淆にはなるだろうけれど。逆に私の会話から、お客さんに何か新たなインスピレーションを与えていたり、別視点の世界の一端が拓けていたらすごいなと思う。

知るは楽しみなり。でも楽しみになるにはそれ相応の努力が要る。自分の身は同じ場所にあって、知識や知恵や発見が来店してくれる環境にあるのだから、吸収したい。脳を耕してすくすく育てたい。咀嚼嚥下して自分の糧にしたい。内面、人柄、言動、立ち居振る舞い、まだまだ修行は続く。このことに関しては何度も書いているけど、この商売をしていると時々猛烈に自分の勉強不足や人間性の拙さに気付かされ、部屋の隅で膝を抱えてしまいそうになるのだ。足りなさすぎる自分、知らなさすぎる自分。反省と傾向と対策の日々。
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by saporterK | 2006-02-19 23:58

日射し

今週は暖かい日が多かった。水曜日などは罰当たりにも「気持ち悪いくらいあったかい」と口走ったくらい。自宅のメダカと睡蓮を育てている元ピータン保存用壷に氷がはらなくなり、白い息を吐き出すのも早朝に限られてきた。お店からの帰り道、ジャケットの襟をかき抱くこともなかったし、自室で暖をとるを名目にお酒をちくちく飲むこともなかった。それくらい、2月なのに暖かい。

日射しも全てに活気を与える。
近くの氏神様の桜には、みっしり花芽がついてきた。お店でも、寒さ灼けをおこしかけたハエトリソウから新たな本体がぶいぶい伸びてきたし、コーヒーの木は水が足りずに萎れかけたくらい水を欲している。土に植えられた葉わさびを、何を血迷ったのか一晩外に出しっぱなしにしてしまった母上だが、植物の生命力のおかげで、なんと新しい葉を出しただけでなく、白い小さな花までつけた。土から掘り起こして水耕栽培しているフキノトウは花をつけ葉も出てきた。アイビーの葉が大きく色濃くなっている。お店の中は暖かいだけに季節先取りである。命の謳歌を見、植物の力がみなぎる店内。

ユリアンは日なたで足を放り出して寝そべっているし、私はその邪魔をしてせっせとブラシをかけて冬毛を整理しようとする。おかげで紫外線をバリバリと受け顔には新たなシミがぽつりとできる。あぁ自然の日射しよ。束の間とはいえ「このまま春になってくれるかも」と希望を抱かせる暖かさよ。
世の中の雑誌はすでに「桜花見情報」が掲載され、洋服もお化粧も「春の装い」が勢揃いとなり、特に厳しい今年の冬を早く終わらせたくてウズウズしているようだ。

明日からまた天気は冬型らしいので、今週の春めいた暖かさを胸にすごしていきたい。今年は厳冬だが、鍋をしなかった(もともと鍋の習慣はないけど)。肉まんを頬張ったりもしなかった。凍り付いた道路で滑らなかった。気温は低かったけど、雪という目に見える寒さがなかったので、実感も薄いが忘れるのも早い。せいぜい気を抜いて風邪をひかないように気をつけよう。
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by saporterK | 2006-02-18 22:38

香り

お寺さんの会合帰りのお客さんから「沈香」を戴いた。お焼香で使う物よりは粗く、香道で使う物より細かい。戴いても自宅で焚くわけにもいかないので、お仏壇の中に、封を開けて置いておこう。

沈香にも種類があるが、どこのお寺さんでも大体共通した香りなので、今日も戴いてから「あぁ、これぞお寺さんの香り」と1人鼻をふがふがさせていた。お能で天女が現れる時「異香薫じて花降れり」というくだりが出てくる。天上界の香りが沈香というには少々並みすぎるような気もするが、子供の頃からわりと「お寺の香り」は好きだった。天女はいまだに舞い降りてはこないが、何か普段の現実の生活とは一線引いた香りのイメージがあったのかもしれない。

で、なぜか仏式の結婚式の話になった。その場限りの俄クリスチャンにはなりたくないし、人の前で誓うというのも何だか心もとないような気もしていたけれど、仏式、何やら新鮮な響き。聞いたことはあったが見たことはないし、未知の世界だから新鮮に思えるのだろう。指輪交換も昨今ではするそうだが、基本的にお数珠交換。厳粛さを実感する点では仏式が一番ありそうだ。着付けや花嫁姿での近所へのごあいさつ、披露宴会場への移動など手間と面倒がかかるのを除けば仏式結婚式って良いかも。信仰心のなさについては俄クリスチャンになって「誓います」と言う人々と何ら変わりはないが、考え方の有り様については勉強して自分に合っているのがどちらかくらいはわかっているので、そういうイベントの時も考慮に入れるのも大切かもしれない。

着物姿で、茶道は別にして、大抵の女性は香袋を袂に入れていただろうけど、最近そういう人に殆ど出会わない上に、和モノの香りが似合いそうな特に若者って少ない気がする。和服に香って「艶っぽい」「色っぽい」「大人」なイメージがあった。香水同様、香りと体臭が合わさって「この香り=この人」という個性が出ることを思うと、私はどんな香りが似合うだろう。ただいまお店に出ない日はJaguar。風呂敷やレターセットには、薫玉堂で買った「せせらぎの香り」というお香を引き出しに入れてある。どちらも爽やかな青のイメージ。甘い香りは私キャラではないから。似合っているかはわからないけど。

飲食店ゆえに止めた習慣。爪を伸ばしてマニキュアを塗ること、香水をつけること。この2つは学生時代に5センチヒール同様マストアイテムだった。止めた代わりに、出掛ける時に特に香水をつけると気持ちが切り替わってよろしい。以前は同じ香りを纏っていることが重要だったけど、今はちょっとした特別感を味わうようでそれも面白い。その点、お寺さんは抹香臭いと言われようとも常に同じ香りでなくては。
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by saporterK | 2006-02-18 00:52