南アルプス市のジャズ喫茶より日々の出来事を。

by saporterK

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サイズ。

モチーフつなぎでマフラーにしようかと思って編んでみたものの「スカスカしすぎ」る為にあっさり変更。懲りずに帽子を編み始めた。今はミニマフラーとなった太い毛糸ではすごく変な見た目になったので、細けりゃ良いというものではないが、中細の毛糸で編み編み。

本の通りに編んで、物差しで測ったらそれもピッタリ。すげーな、私。と喜んだのも束の間、ちょいと頭に乗せてみたら、何だか河童のよう。サイズが大きいらしく、立体的に添わせても余りが出てしまった。仕方なく一回り解いて飾り編みをし直して、またちょいと頭に乗せてみた。うーん、まだ余りが出る。毛糸の帽子って、ゆとりを持たせる必要はないんだよな、と思って更に一回り解く。なんとなくそれで良さそうなので再開。そんなことをして、1日が終わってようやく半分編み終わる。
私は決して頭蓋骨がコンパクトな造りになっているわけではないはずだが。
また似合わないと判ったらどうしよう。誰かにかぶってもらうか。
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by saporterK | 2008-11-30 23:12 | Comments(0)

発想。

発売日を知らずにいた漫画を2冊購入。1冊は、もはや惰性になってきたけど今更買うのをやめるのも何だなぁと思いながら読み続けている。1冊は、私の乏しい料理の発想力には参考になるもの。脳の前頭前野を使って、手際よく効率よくタイムテーブルを頭に描きつつ手も動かしつつ、五感を使って行なう料理。お店だと、オーダーと併行して「とりあえず作れる物から」作っていた夕食。しばらくやめていたけど、状況と自分の健康診断の結果を思うと、再開したほうが良いみたいだ。

今日の放送は、出来の良し悪しは私の判断するところではないが、時間的には思惑の中に入ったので良し。話のペースが自分の許容範囲を逸している人に対しては、もっと寛容であらねば、私。聞いていてみじみじするが、それは自分が短気なだけかもしれない。存外に他のスタッフは平然としていたので。

お店に戻って、漫画のページをめくりながら、色々考え事をした。そういえば、何年か前も同じことで考え事をして実行したっけ。でも私が代行したことで、プラスになったのは自分の貧血が軽減しただけで、状況は何も好転しなかった。何だか同じことを繰り返してしまいそうだけど、まずは自分の健康を再構築してからでないと何も乗り越えられなそう。これも人生修行だと思って、というかいつの為かわからない予行演習だと思って、実行あるのみか。むむむ。
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by saporterK | 2008-11-28 00:03 | Comments(0)

申し渡〜す。

本日定休。
休みの日に朝8時に原則起きたことがない。でも寄せ鍋とかしない家庭に育っているくせに鍋奉行職を承ってしまい、住宅公園という、モデルハウスには用のない私が収録のため行ってきました。収録の場所ってどういう基準で決めるのかなと思いながら到着。ナントカホームとかカントカハウスの家って落ち着かない気がする。明治22年製の家に育ち、離れ家は蔵を改増築で、ホルムアルデヒドとかに縁のない人間。人工的な素材の臭いはこういう時に気付く。柱や壁紙や床材などパッと見渡した様子を比較して「お父さん、ありがとう」。改めて、我が家の良さを思う。母屋から離れ家に初めて入った時のことを思い出した。木の香りがたっぷりとして、深呼吸したものだ。

そのモデルハウスのキッチンは私の動線と逆。と、ふと自分の理想のキッチンについて考えた。もごもご考え事をしているうちに収録が始まっていく。どれくらいで完成かもわからないので「牡蠣食べるかた、これで火は通ってますか」と訊く始末で(誰も答えてはくれなかったが)、およそ鍋奉行ではない。私がまごまごしていたせいで予定より2時間近く押して終了。あと1本収録するスタッフに別れを告げ、退散。私は鍋奉行は向いていないし「鍋を囲む温かい家庭」も向いてないかも。「つゆがテーブルに垂れた!」「取り箸使え!」「野菜も食べろ!」等々、口うるさい上に自分は食べた気になれないのではないかと簡単に予想できてしまうだけに。

とはいえ人参と椎茸を飾り切りしたり、マメに鍋の面倒を見ること自体は嫌いではない。何がって、家族でも滅多に直箸をしないのに、恋人でも何でもない人達と鍋を囲むことへの拒否感が私の鍋嫌いを助長するのだ。尤も今回は辛い物が得意ではないのと牡蠣は食べないので、行って作っただけの出稼ぎであった。奉行らしく申し渡すこともなかった。色々私自身の発見がある機会であった。怠惰な休日ではなかったし。
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by saporterK | 2008-11-27 00:00 | Comments(0)

おしゃべり効果。

出稼ぎを終えて、どこにも寄り込まずお店に戻る。

昔は話をするほうがストレスだったので、何かで女性はおしゃべりをすることでストレスが解消されると、脳波計とか使って証明した(のか、とりあえず可視化させた)のを見たことがあったが「私は例外だな」と思っていた。
でも、人である限り、人と接して社会と交わっていく以上、話をしないことは無理。山梨に戻ってきてすぐの頃は、なぜお店で働いているんだっけと問い直すくらい悩んで落ち込んで、痩せていた。その期間が終わると、曲がりなりにも大学で勉強したことは無ではなかったと自分に言い聞かせて、行動療法的な訓練を課していったものだ。その期間は一生続いていくと思う。終わりのないものは、何にでも存在するのだろう。

さて、会社勤めをされている常連さんと話をする。自分がどういう立場であるのか、人との距離感、ストレス対処などについて。長年働いている女性の言葉。あ、そうか、という気付きをもたらしてくれる。違いを認め合って強要しないこと。まずは話したり様子を見たりして、違いを知ること。

ストレスになることもある会話という手段が、ストレス発散になる実感を得る。さらには異なる視点を得、沸騰した頭が冷める。自分がそうさせて貰えたのだから、人の話を聞いてあげられるという逆の立場になれるようにしたい。これも一生努力していくことである。
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by saporterK | 2008-11-25 23:41 | Comments(0)

しとしと。

勤労感謝の日は月曜だと思っていた。振替休日でした。旗日を見る度に「ふつーに働いてる」という人も多い。旗日でも仕事をしている皆さん、お疲れさまです。カレンダー通りの人も、お疲れさまです。

久しぶりの雨となり、前日から「調子わりー」とぐったりのマスターと、調子わりーけどぐったりするほどではない私は、歩く天気予報である。鳴らしてはいけない手指の関節の鳴りも今日は湿っぽい。今日は「人に教えること」を学んできた日。仕事でも何でも「あぁ、私がしたほうが早い!」とじれったくもどかしくなり、つい手を出してしまうことがある。でもそれは指導法としては大抵間違っていて、必要以上に指示せずにどう導くか、座学の後で3時間みっしり実習。むずかしー。レポート書きが終わったと思ったら、今回も課題が出た。最終回に向けて更にエンジンをふかして取り組まねば。

昼食兼夕飯を9時半頃に食べ、3時間の指導法学習で頭がショートしそうになっていたせいもあってか饒舌になり、帰宅して、今になって「あ、明日出稼ぎか」と気付いた。へとへとだが充実した日。チョコレート食べたい病が発症しそうなくらい。
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by saporterK | 2008-11-25 01:16 | Comments(0)

一気呵成。

考えても思い出しても、書けないものは書けない。レポート書きを1年近く続けていつも感じる。書きながら「何か見落として気付いていないだけかも」と思っている。何度か、レポートを提出してから「あ、そういえばあれも書けた」と気付いたこともある。それで減点されるわけではないけど、完全燃焼ではなかった気がして、つい次回分の末尾にページを追加して「後から思い出して…」などとやってみたこともある。往生際の悪い性格が如実に表れている。1ヶ月ごとに、考えるのに約20日、下書きに1日、半日から1日熟成させて清書、がパターンなので、書き出してからは一気呵成に仕上げている感じがして、どことなく「やっつけている」気になる。それも考える日々があってできることではあるのだが。
今日も、もうこれ以上は無理と感じたので、メモを集めて下書きをした。もう無理と思っているのは今日だけで、明日になったら何か浮かぶかもしれないし、時間切れになって清書にかかるかもしれない。31年間の過去というのは短く少ないようでいて、掘り返せば何か出てくるものである。過去は振り返らないという人もいるが、レポート書きには当人の主義など関係なく、振り返り掘り返さなくては話にならない「経験を例に挙げて、解説せよ」の問題に取り組まねばならないのだ。

そして毎回、喩え話や諺といった、わかりやすい言葉に叩き直して教えを説いたり表現してきた先人達に敬意を表する。そうでないと、問題としている部分が何を言っているのか、理解したのかしてないのかも理解できないことも屢々起きる。喩え話によって、自分の中にも覚えがないか噛み砕いて、初めて理解できることがある。そうでなければ、私は1回もレポートなどまともに書けずに終わったことだろう。今回提出する分でレポートは終わり。ひと月置いて、次回提出は卒論。大学ではない場で卒論と銘打ったものを書く日が来るとは。頭の中の構想が本当に形になるのかどうか、まだゴールが見えないところにいる。
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by saporterK | 2008-11-23 01:09 | Comments(0)

懐かしの。

朝、家を出て敷地内の草茫々ゾーンを見たら、真っ白。土が凍るほどでもないが、朝露は凍る季節到来である。あれを見ると、祖父が時々おやつにくれた、ゼリー菓子を思い出す。キャスターシュガーがまぶしてあるタイプとオブラートに包まれたタイプがあったけど、あの独特な硬い食感と強烈な色素と猛烈な甘味は忘れられない。味はどれも似ていて、色だけがフレーバーを連想させるような、昔ながらのおやつ。果物のピュレを使ったフレッシュ感のあるパートドゥフリュイがあるけど、思えばあの毒々しいゼリーは、売り出された当初は、これの真似というか再現を試みたハイカラなお菓子だったのだろうか。祖父はあまり好きではなかったように思う。祖父はお菓子の和洋を問わず食べていたが、駄菓子っぽいのは食べない人であったように思う。私も頻繁に貰った覚えはない。懐かしい連想と共に出稼ぎへ。駐車場を歩いていると、8時過ぎているのに息が白かった。今日は冷え込んだだけあって、富士山映像の美しいこと。

出稼ぎを終えて、本屋でクレオ・コイルの最新刊を購入。ミステリは大して好きではないけどコーヒーを飲みたくなる1冊。不思議な点は、豆を厳選してるのにチェーン店みたいなスタイルで、しかも、ダメとは言わないが、フレーバーやトッピングに対してはかなり寛容なのは舞台がアメリカだからだろうか。コーヒーはお店まで我慢すれば良かった。でもお店に戻ったら飲めなかった。勘が働いたのかわからないけど。明日はお店に行ったらまずコーヒー飲もうっと。紅茶を買ったばかりだけど、とりあえずコーヒー飲もうっと。
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by saporterK | 2008-11-22 00:31 | Comments(0)

脳のち身体。

ぼさーっとした頭で出稼ぎ先に到着して、打ち合せに出たら「メロスは○○した。何?」と話をふられた。え、え、メロス、友達を拉致されて(この時点ですでに記憶は間違っていたが。)「こやつの命が惜しくば日没までに戻って来い、ぬははははぁ〜」の話だよな。その冒頭部分?それって「吾が輩は猫である。名はまだない」とか「こんな夢を見た。」と同じ、最初の1行でしょ。何だっけなー。最初の場面が何か思い出せない。頭の中には磔にされたキリストが出てくるし、早乙女ケイ子風な絵でメロスが怒りつつ滝の涙を流しているような図まで出てるけど、冒頭部分は出てきません。
その後「憤慨か激怒か」の2択まで絞り込まれ、音読した「聞こえの良さから、激怒」と答えた。その後「人間失格」と「斜陽」がごっちゃになり、小鳥のようにスープを召し上がるお母様とか、「姉さん、僕は貴族です」の弟が出てくるのがどっちか間違えたり、太宰ファンにぶん殴られそうな教養の無さを示す惨憺たる結果となった。

言い訳をするならば、いつだったか「探して見つかるものは記憶に固執しない」でいようと思って以来、「あぁ、それって太宰の走れメロスの冒頭ね」程度わかっていれば良いや、なレベルに落ちた。しかも、小学校か中学校の教科書で「友達の命を賭けに使う非道なメロス」という浅い読解力で植え付けた印象以来、1度も読み直さないでいた本の「冒頭部分なんか知るか」と開き直った次第である。でもおかげさまで、今後メロスの冒頭部分を訊かれたら、即答できるくらいになった。これは教養であろうか、雑学であろうか。ぬぬぬ。

番組では非常事態が発生して、脳がくしゃくしゃになる。へとへとになって制作部に戻り、頼まれてNアナの肩揉みをした。左肩甲骨にドングリくらいの凝りを見つけ、解して流す。私は汗を流す。芸(?)は身を助く。ゲストさんのお土産の茹で落花生、笹一酒造の酒まん、竜王のコンビビアリテのシフォンケーキ(の切れ端というか、成形時に膨らんだところをキレイにカットした部分)の現物支給つき。頼まれて、自分の手持ちのノウハウが役立てるのは嬉しい。脳を使った後に流す汗は気持ちが良い。くしゃくしゃした脳が通常に戻った。

帰りに「チームバチスタの栄光」コミック版と「パティスリーMON」購入。ふと「太宰治・全作品」が1冊に収まった愛蔵版を買って帰ろうかと思った。しかしその本は、字がおそろしく小さい上に紙が粗悪だがおそろしく安い、という究極の選択の状況に陥るタイプ。大活字版は、フォントと行間と字間の取り方が変なので読みにくい。安さを取るか見やすさを取るか。で、決めかね買うのは延期。……誰か(ごにょごにょ)。
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by saporterK | 2008-11-21 00:34 | Comments(0)

寒いよー。

本日定休。

人間にも冬眠機能があればいいのになぁ、ムーミン達と同じように、ベッドで一冬越してしまいたい。。。と思うくらい寒い。山梨はもっと寒かったと思うが、今日は充分寒い。今更「家族の集う場所」は必要としない年齢層の家族なので、居間に雁首揃うと不穏な空気になる(気がする)。もちろん仲が悪いわけではないが、コタツの中で陣取り合戦が始まるのがいや。脚を伸ばせないのもいや。ということで、私が部屋に戻ってイモムシみたいに丸まって過ごすことになる。

北国では季節性の鬱があるそうだが、太陽も浴びられず、曇ってどんみりした空を眺め、外に出たくないほど寒いと、それでなくても気分は鬱屈する。私などは居間にいればつい食べ物に手が伸びるし、テレビにかじりつくし、勤労意欲が削がれる。週に1度の休みなので、何をしていても良いけれど、なぜかテレビを数時間見ているだけで、無為な時間を過ごした罪悪感が沸いてくる。だからって何かする気持ちは萎えているので、ここにひとり、打ちひしがれつつ何もできずにぼってり寝そべるダメ人間が完成する。外は北風。モゾモゾ布団の奥深くに潜ってしまいたい。あぁ。
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by saporterK | 2008-11-19 16:32 | Comments(0)

枯れ葉。

ジャズで「枯葉」なら、少々気怠い感じで小春日和の暖かさがよく似合う。今日は午後の出稼ぎ中、マスターに借りたアート・ブレイキーの58年サンジェルマンでのライブ録音のCDを聴いていた。Autum leavesはないけど、スタンダードな曲がたくさん。私が認知した頃はすでにおじいちゃんだった。いいぜ、アート・ブレイキー。マスターも大好きだが、お店では静かに過ごしたり話をしたくていらっしゃるお客さんも考慮すると、ちょっとかけにくいんだよね、だそうだ。小さな音で聴くタイプの演奏じゃないし、開店前のやる気チャージに良いかも。時代と国を超えて、私もその会場にいるつもりで、ひとりで(時々リズムが外れつつ)ノリノリ。

お店に戻ると、テナントの前がケヤキの落ち葉が盛り上がって点在していた。これまでかき集めたのを撒いたみたいだが、今日1日で落ちたのと屋根に溜まっていたのを、風が巻き込んで積み上げた結果であった。「これでも何度も掃いたんだよ」と言いつつ、また竹箒を手にしてザッザッと闘っていた。
枯れ葉が集まれば良い堆肥になるかと思ったが、ケヤキの葉は硬いのでボロボロ細かくはなるが、微生物によって分解されるには何年もかかると言われた。色々使えば早いのだろうが、いずれにしてもケヤキはあまり期待できないみたいで残念。だって、何か有効利用できそうな量なんだもんと、まだまだ残っている葉を眺める。枯れ葉ではないけど、ショパンの「木枯らし」は今の時季らしい1曲。冬の風だけでなく、その風に巻き上げられ翻弄する葉の様子が見えるよう。
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by saporterK | 2008-11-19 00:54 | Comments(0)